映画『GODZILLA』(1998)を観ました。先日公開された『シン・ゴジラ』が大ヒットしているようですが、酷評された1998年ハリウッド版『GODZILLA』がどうしても気になってdTVレンタルで観ることにしました。
酷評された『GODZILLA』を何故観たくなったかと言えば、「何故酷評されたのか?」そして「日本の敗戦と被爆という悲しい過去の歴史から生まれたゴジラという怪獣を、既に『インディペンデンス・デイ』(独立記念日)を撮ったエメリッヒ監督は、どのように描いているのか?」という興味がわいたからです。ローランド・エメリッヒ監督は、『インディペンデンス・デイ』、『パトリオット』を撮ったアメリカ大好き監督です。以前『インディペンデンス・デイ』の記事も書いています。
- 映画『インデペンデンス・デイ リサージェンス』感想 3Dで観てきました ※ネタバレあり - キネマの館
- 映画『2012』感想 『インデペンデンス・デイ』監督ローランド・エメリッヒ作品 ※ネタバレあり - キネマの館
- 映画 『インデペンデンス・デイ リサージェンス』を観る前に、前作感想&ローランド・エメリッヒ監督お勧め作品 - キネマの館
作品情報
公開:1998 年
時間:2時間18分
監督
主なキャスト
あらすじ
フランスが行った核実験による突然変異で出現した巨大怪獣ゴジラが、米ニューヨークに上陸。米軍の攻撃もものともせず、マンハッタンのビル群を破壊して地下へ姿を消す。フランスが極秘理に送り込んだエージェントのフィリップともとにゴジラを追っていた生物学者のニックは、残された体液からゴジラが妊娠しており、マンハッタン島の地下に巣を作ろうとしていることを突き止める。
フランスが行った核実験でゴジラが生まれたというところも本作の大きな特徴です。
感想
登場する「ゴジラ」が「ジュラシック・パーク」の巨大恐竜
「ゴジラ」として登場している怪獣は、巨大恐竜になっています。日本のゴジラは着ぐるみ感丸出しだったので、当時の最新技術を使用してよりリアルな姿にしようと考えたのかもしれません。同じ巨大生物が登場する映画『ジュラシック・パーク』が既に大ヒットしていましたから、意識したのでしょう。
1993年『ジュラシック・パーク』
1997年『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』
本作は、1998年。
スピルバーグ監督と「ゴジラ」
スピルバーグも『ジュラシック・パーク』シリーズで巨大恐竜を扱っています。「ゴジラとの関連を検索してみました。
スタンリー・キューブリック、デヴィッド・リーン、黒澤明、アルフレッド・ヒッチコック、『ゴジラ』など様々な映画の影響をうけるが、特にディズニー映画は初期の彼の作品にさまざまな影響を与えている。
幼少期には「ゴジラ」を観ているようです。影響を受けているということです。そして、ハリウッド版ゴジラの制作に反対し激怒までしたとあります。
さらに自身もゴジラファンであるSF映画の巨匠・スティーブン・スピルバーグが、エメリッヒに対する激怒を隠さずに「私はこの映画を生涯見ることはないだろう」とぶった切ったことでも有名である。
「ゴジラ」のファンであったということと、円谷英二氏らが込めた思いを汲み取っていたようです。Yahoo!の知恵袋からの引用です。
ゴジラが、被爆国日本と言う背景があってこそ
成立する物語であり、キャラクターだと理解していて、ハリウッドが、ゴジラのリメイクに乗り出すコト、
それ自体に反対していたそうです。「オリジナルを超えられるはずがないし、
逆に、オリジナルへの侮辱になってしまうから、
ハリウッド版ゴジラは、撮るべきではない。」と言う主旨の発言をされてたそうです。
スピルバーグにも打診はあったようですが、断ったようですね。もし、スピルバーグが制作してくれていたらどんな『GODZILLA』になったのでしょう。
演出は素晴らしい
酷評を受けたとはいえ、演出はとてもよかったです。『ジュラシック・パーク』とかぶるところはありますが、冒頭にGODZILLAの発生の元となる爬虫類(イグアナ、オオトカゲ)と水爆実験のフィルムから入るところなんかは、さすがだと思います。そして相撲放送では「曙を土俵際まで攻めるが、最後には曙が勝つ」というシーンが流れます。まさに太平洋戦争です。日本人は良く思わないとシーンでしょうが、国家間の感情なしで観ればよく考えられています。
GODZILLAが貨物船を襲うところもゴジラの爪で船体の鉄板を切り裂きます。ゴジラ登場のシーンも凄い迫力です。NYの街を歩くシーンでも足踏みの地震が人・車を飛び跳ねさせてしまうという演出をしています。GODZILLAを退治するのもアメリカ軍と核推進国のフランス部隊というのも、よく考えられていると感じました。細かいところは矛盾だらけですが、観客を楽しませる演出は成功していると思います。
何故酷評されたか?
ハリウッド版『GODZILLA』を観て、「ゴジラ」を特別にリスペクトしない人が作るとこのような映画になるんだなと感じました。逆に日本の「ゴジラ」には、単純でない思いが多く含まれていることを再認識しました。その単純でない思いがいいことだけとは思いませんが、それがゴジラという怪獣であり、日本の映画界の歴史なんだということです。神的で威厳のある存在でないと「ゴジラ」として認められないのです。私は「ゴジラ」を魚でおびき寄せたところで、「あーダメだ、これは」と思いました。
酷評については以下の記事があります。
「ゴールデンラズベリー賞」の最低リメイク賞にまで選ばれる結果となり、遂には『GINO【ジーノ】:Godzilla Is Name Only』≒「ゴジラとは名ばかりのパチモン(意訳)」という不名誉なあだ名を頂戴することとなってしまった。
海外でも堂々とこのような評価を受けるということは、日本の「ゴジラ」の黙示の意味が多くの人に伝わっているということですね。
クライマックスの違い
映画の楽しみ方としては、気持を楽にして何も考えずに映像と音響そして感情を楽しむという物もあると思います。ハリウッド版『GODZILLA』は、『インディペンデンス・デイ』と同様でまさにその路線です。ですから、GODZILLAを仕留めた後、勝利を喜ぶ形で終わります。
日本の「ゴジラ」は、映像と音響での単純な楽しみの中に現代社会の大きな問題という黙示的な要素を取り入れています。ですからゴジラを仕留めた後も次に現れる「ゴジラ」的な存在に危機感を感じ大手を振って喜ぶこんではいません。
総評
同じハリウッド版でも『GODZILLA ゴジラ』(2014年)は、日本のゴジラの要素を取り入れたものになっています。日本の「ゴジラ」を再評価するには酷評ではありましたが、他の目線ので撮った『GODZILLA』(1998年)も観ることをお勧めします。
スピルバーグの「ハリウッド版ゴジラは、撮るべきでない。」の意味がわかるように思えます。ローランド・エメリッヒ監督のように国家の勝利を大々的に表現できるアメリカと、それが出来ない日本という国民意識の違いもよくわかってくると思います。
Amazonビデオ
予告編も観れます。
ハリウッド2014年版